Italia Trip

Mr.Kのイタリア旅日記 vol.21

2022.12.19
 

PIEROPANの最後の物語は、やっぱり、Mr.SOAVE、LEONILDO PIEROPAN(レオニルド)通称Ninoとの思い出話だ。

Ninoのことは私だけでなくフードライナーの社員全員が大好きだった。
彼との思い出は色々とあり過ぎてどこからどう書けばいいのかわからない。

レオニルドさんにはいろんな事を教えてもらった。訪問する時期は4月だけではないので、その時々のワインができるまでの過程であったり、真冬の剪定作業だったりと本当にさまざまなことを学ばしてもらった。

ワイン(SOAVE)用のブドウジュース(ガルガネガ・トレビアーノ)に酵母を加え発酵が始まり出した頃の濁った酸っぱいだけのワインの原形を味見させてもらった時のことはいまだにはっきりと覚えている。
「飲んではダメ、吐き出すように」と言われたが、飲めと言われてもとても飲める液体ではなかった。それが何ヶ月かするとあの美味しいソアヴェ•クラシコになる。レオニルドさんはあの段階から出来上がった時の味わいがどうなるのかを教えてくれていたのだ。

残念な事にレオニルドさんはほとんど英語が話せなかった。私もイタリア語が少ししかわからないので、必ずだれかに通訳をしてもらわなければ会話にならない。直接話せたならもっともっと聞きたい事がいっぱいあった。レオニルドさんは私がイタリア語がわからないのを知っているにも関わらず、一方的にイタリア語で話しかけてきた。ひとりで勝手にしゃべってひとりでウケて笑っている。たぶん何か面白い事を言っていたのだろう。

そんな大好きなレオニルドさんが2018年4月13日に亡くなった。
それは私がイタリアにいた時だ。偶然だがすごく縁を感じた。しかもVERONAにいたのだから。
その年もFiera Veronaで開催されるVINITALYのために数日前からVERONAには到着していた。
当然この年もピエロパンとの約束を控え、いつも通りの忙しいスケジュールをこなしていたVINITALY2日目のことだった。

突然、私の携帯電話が鳴った。息子のアンドレアからだった。「先程、父親のレオニルドが息を引き取った。すべてのスケジュールはキャンセル。VINITALYのブースにも行かない。」と。  
あまりにも突然すぎて私はなんて言えば良いかわからず、「わかった」とだけ返事をしたことを覚えている。
出発する前からレオニルドの調子が良くない事は聞いていたが、まさかこのタイミングで訃報を聞くとは思ってもいなかった。

こういった場合、日本ではお通夜があってお葬式があって…という一応の流れは想像できるが、ここはイタリア、キリスト教の国。どうすれば良いのか、何をすれば良いのか見当がつかない。ただアンドレアの電話口の泣き声とレオニルドの人懐っこい笑顔が私の頭の中を反芻するばかり。とはいえ、VINITALYでのスケジュールはその日も翌日もいっぱいだった。

当然、その訃報はVINITALYに出展している多くの生産者•メーカーの間には広まっていたはずだ。なにせあのMr.SOAVE LEONILDOがとなり街のSOAVEでたった今亡くなったのだから。ニュースにならないわけがない。

私はスケジュールをこなしながら、レオニルドについての情報も集めていた。わかったことは、お葬式は翌日にピエロパンの自宅兼セラーから50mほど坂を下ったSOAVEの教会で行われるとの事。私はこのVINITALYに妻とスタッフ数人で来ていたので、メーカーとのアポイントはすべてスタッフに任して妻と二人でお葬式に参列し、レオニルドさんと最期のお別れをした。

大きな教会だったが、参列者はとても多く、ほとんどの人が立ったままレオニルドにお別れをした。教会では彼が好きだったビートルズの曲がずっと流れていた。たぶん「Hey Jude」だったと思う。
なんとももの悲しく、そして呆気なく人は旅立つのか、と考えさせられた。
最後にレオニルドの棺を車に乗せる為に参列者全員が外へ出てお別れの言葉をかける時、ピエロパンファミリー全員が一人一人とあいさつをしていた。私達もそこへ行き、マダム・テレジタ、アンドレア、ダリオ、アンドレアの奥さんサーシャ、息子のリカルド、みんなとハグをして一言、二言、声を掛け合って私達はそのままVINITALY会場に戻った。

本当に偶然だったのか、世界中のイタリアワイン関係者が集まるあのVINITALYの開催中にレオニルドが他界した。とにかく大勢の人たちに見送られた事はレオニルド、マダム・テレジタ、家族にとってはとても良かったんじゃないかなと思う。私も教会で多くのワイナリーの方やワイン関係者と出会ったから。
日本人は私と妻だけだった。私にとっても亡くなってほしくはなかったけど、最後のお別れが出来た事は良かったなと思っている。

そして、その夜のVERONAで見た事をお伝えしよう。
葬式が終わった夜、私たちはVERONAの街に出た。おそらくどこかのワイナリーとの食事会だったと思う。その食事の前に、VERONAでNo.1のワインバー「Bottega del Vino」に立ち寄った時の事。大きなブラックボードに大きな文字で、「GRAZIE!! NINO!!!」と書かれ、“CALVARINO €15”とさっそくLEONILDOへの献盃が始まっていて、みんながみんなカルヴァリーノを飲んでいる。見えている空ビンだけでも、ものすごい数だったが、VERONAのいたる所で同じような光景があったようだ。

あらためてイタリア人は情に厚く楽しい人たちだなぁーと思ったし、それを見てCALVARINOを飲んでいる人たちみんなに“本当にありがとう”という気持ちになった。Grazie Tutti!!。

次回また、ピエロパンを書く時には、「SOAVEの名門。赤ワインVALPOLICELLAに挑戦する」を書こうと思う。それでは、みなさん、良いお年を! 来年もよろしく! ciao ciao !!